2009年 07月 28日
クラミジア感染 その1:トラコーマ(383)
この疾患は、1907年にProwazekが患者の結膜擦過標本に上皮細胞封入体を発見し、Chlamydozenと呼び、その後50年ほどして、このこれが病原微生物本体であることがわかり、現在、Chlamydia trachomatis と呼ばれ、リケッチアに分類されています。原因菌に関しては、古くから多くの学者により発表があり、中には、1927年野口英世による Bacterium granulosis とうのもありました。現在日本で、トラコーマを見る事はありません。トラコーマとはどんな病気だったのでしょう。
最初は軽い結膜炎。抗生物質のなかった時代ですから、これが慢性化する訳です。乳頭・顆粒が目立つ結膜炎で、結膜は肥厚する。炎症が消退すると強い瘢痕を残す。この乳頭というのは、アレルギー性結膜炎でも見られるようなものでしょうが、顆粒というのは聞いたことがない言葉ですが・・・・、円蓋部結膜・瞼結膜上皮下に0.5-2mmの大きさで円形・楕円形、赤味を帯びた灰色、黄白色・灰白色・・・・参考のため、この教科書から絵を添付します。(濾胞と違う?未熟な濾胞?)
写真:顆粒

角膜に炎症が及ぶと、通常上輪部充血、パンヌス形成が特徴で、角膜混濁を来し、稀には角膜潰瘍を伴う事も。その他にも、結膜瘢痕は涙液分泌減少、眼瞼内反、睫毛乱生を引き起こします。勿論失明することは稀ではない。
写真:パンヌス

この疾患は、かつて日本では、失明原因の重要な地位を占めていいました。トラコーマ率という言葉があり、衛生環境の悪い国では悪く、40%以上がエジプト、中国、・・・で、アメリカ、イギリス、ドイツが5%以下だった時代(昭和ひと桁)に日本は、ソビエト、トルコなどと並び20-40%の欄にありました。それでも、衛生環境の改善とともに、日本のトラコーマ率(徴兵検査時)は、明治42年に23%だったのが、大正14年には13.8%、昭和18年には6.4%と減少していきました。テトラサイクリン系・マクロライド系抗生物質が有効であり、抗生物質の普及により、昭和50年代には撲滅されたようです。大正14年生まれの眼科医(父)が、この疾患について語るのを何度も聞きましたが、昭和32年生まれの眼科医(私)は、新鮮な(?)トラコーマを見た事がありません。
治療ですが、抗生物質が登場するまでの主役は、硝酸銀や硝酸銅?手術療法の項目には、カイニング法、魚皮擦過法なんてのもあります。かわはぎの皮(ザワザラしてますが・・・)で結膜を擦過するようです。読んでるだけでワクワクするような様々な治療が行われたようで、それだけ、何をやっても駄目・・の裏返しだったのでしょう。