恩師の思い出

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 平成23年4月27日、恩師が旅立ってしまわれました。享年80。残念でなりません。ただ、もうかなり前からこの時の事は覚悟していました。何より残念なのは、恩師が引退された後、体調がすぐれず、まだまだお元気である筈の年齢なのに、楽しく昔話することも、酒席でツッコミを入れる事も叶わなくなってしまった事です。恩師を囲む会も平成17年10月28日が最後になってしまいました。

 あれから四半世紀以上・・・。教授と言えば親も同然、助教授と言えば兄貴も同然・・・と医局構成員を家族のように捉える若干歪んだ感覚を持ちつつ、昭和59年春、初めて教授とお会いしました。勿論、現実の親よりもずっと雲の上の存在で、話をすることさえ憚られました。ただ、入局すれば入院患者さんの主治医となりますし、教授は入院患者さん全員を回診時に診られるので、教授回診が1年目医師(ノイヘレン)と教授の最大の接点となります。その時の為にも、カルテを一生懸命書かねばなりませんが、どんなに一生懸命診察して書いたところで、ノイヘレンのカルテなんて、まだまだ不十分なものです。そのカルテに基づいて、教授に患者さんについて説明するのですが、質問を受け、しどろもどろになる・・・。最初の出会いはそんな感じです。

 初めての入院患者さんは、単なる白内障の患者さんでしたが、syphilisがあり、角膜や眼底には古い病巣の後、角膜混濁・血管侵入の痕(ghost vessel)・ごま塩眼底・・・などがあり、その所見のひとつひとつについて丁寧に説明してくださったのが、最初の印象で、怖い・・というよりは優しいと感じたものです(意外!)。
教授と我々の接点とは、教授回診の他にも、

1、月曜日の教授回診後のカンファレンス
2、教授が執刀する患者さんを担当した場合の手術前診察
3、金曜カンファレンス
4、教授の外来診察のシュライバー
5、教授執刀時の助手
6、研究室報告会
7、呼び出されての面談
仕事以外では、医局旅行・忘年会などでしょうか・・・。

f0088231_14513055.jpg 回診後のカンファレンスは、一番盛り上がる(?)場面です。鑑別診断を列挙したり、診断確定根拠を述べたり、術式説明などをするのですが、そこで勉強不足・矛盾点には鋭い突っ込みが入ります。先生の知識は無尽蔵と思われるほどで、引き出しを開け、更にその中の小引き出しをあけるような感じで、整理された知識がいくらで出てくるのです。そんな中、我々が言い繕えば繕うほど、袋小路に追い込まれ、ノックダウン寸前に・・・。そんな光景を何度目撃したことでしょうか。我々は、当然知っているような顔を繕い、自分が当事者にならないよう身体を小さくして、教授の視線をかわそうと努力したものです。まだまだ勉強不足のノイヘ、出向帰りの医師(基本を忘れた生意気な医師?)などがメイン・ターゲットだったような気がします。

 教授が執刀する(勿論バックリング)剥離の患者さんを受け持ったら(そうでなくても)、頑張って眼底スケッチを完成させなければいけません。教授は手術前日の夜に必ず診察に来られます。その時までにデタッチメント・チャートを完璧に(?)描き上げておいて、レトロな裂孔計測を行い、強膜上のどの位置に糸を掛けるのか、バックリング材料は何にするのかまで、書いておけば完璧です。ただ、これが結構難しく、いつも、『これであってるの・・?』と言われていた気がします。偶に褒められたりすると一生の思い出に・・

 金曜のカンファレンスは、英語文献の紹介や学会の予行、何かテーマを決めた勉強会などですが、一番の思い出は学会予行です。この予行に間に合うように、スライドや原稿を用意するのですが、だいたいここで一度は木端微塵にされます。何故この発表を行うのか・・・から始まり、結果のまとめ方や考察などについて、教授だけじゃなく、全く別角度からM助教授の鋭すぎるツッコミも入り、時には発表する価値なし・・みたいな状態になることも。私も、本当発表するの?と言われた楽しい思い出があります。ただ、晩年の教授はカンファが始まってしばらくすると必ず舟を漕ぎはじめ、寝ているのか起きているのか推測困難な状況に。ただ、寝ていると思って安心していると、ひどい目にあわされます。
 シュライバーも楽しい思い出のひとつ・・。ただ、何を言われているのか理解できず、手が動かなかったり、『ちょっと見てごらん』と言われた後、所見を聞かれても、返答できなかったり・・・。教授の診察は朝9時から、長い時は午後5時を過ぎ、院内(外来部分)が暗くなるまで延々と続くこともありました。しかも何も食べずに・・・。教授がこれだけ働くのですから、我々も少々の事では辛いなんて言えません。

 教授が執刀する手術の助手は緊張します。剥離手術の術野は狭く、そこに教授が糸を掛けやすいように、制御糸を引っ張ったり、鉤を入れる必要がありますが、なかなかうまくできません。黄斑バックリングの手術なんか信じられない術野の狭さ。優秀なT先生と違って、私には良い助手の記憶が殆どありません。

 入局して何年か経つと、今後の身の振り方みたいな事を相談し、研究したい・・・(つまり学位が欲しい)希望が受け入れてもらえば、研究テーマがもらえます。
私は低濃度のオルニチンを硝子体内に注入すると網膜色素上皮が選択的に障害され、網膜色素上皮が強く障害されるとマクロファージのように変化するもの、変性して消失するものがあり、健康な網膜色素上皮が再生しないと、脈絡膜毛細血管板が徐々に変性して消失し、視細胞まで消失する。網膜色素上皮が再生した場所では、脈絡膜毛細血管板は保たれる。つまり視細胞・網膜色素上皮・脈絡膜毛細血管板は、一体となって存在する・・・なんてことを光顕と電顕で調べるという至ってシンプルなものでした。結果の整理・考察が未熟で、いつも怒られていた気がします。『本当にそうなってるの?それでいいの?大熊君には見てもらった?』 節目節目に行われる研究室報告会では、それまでの研究のまとめを報告するのですが、苦々しい記憶ばかり・・・。基礎の教室で、研究されていたO先生が私には暗号・呪文にしか聞こえない内容と滔々と説明されていた事が鮮明に思い出されます。臨床では、一歩も二歩も、私の先を歩いていたK先生も、研究室では数年後輩になったので、チョット可愛がってあげました。

 また、時に名指しでお呼びがかかることがあります。当然疑心暗鬼になります。なんか悪いことしたやろか・・・・。褒められることはない筈。論文を早く書きなさい?研究の結果が出ないのは何故?・・・想定質問を考えつつ緑の館へ向かうのです。エレベーターは蒸し暑かった・・。
 医局旅行も楽しい思い出です。いろんな場所に行きましたが、一番の思い出は宴会終了後、どこかに部屋に集まって、教授も交えて延々呑み続けながら、無礼講で(?)話をする事。当然こちらは酒の勢いを借りて、普段言えない事を言う訳で、時に一線を越えて逆鱗に触れたこともありました。その内容は怖くて公開できませんが・・。一線越えたのは一度きり。
 教授と言えば親も同然、助教授と言えば兄貴も同然・・・?と言いながら、恩師より数年早く、大学を辞めてしまい、晩年親孝行出来ず、寂しい思いをさせたとしたら本当に申し訳ありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今年の3月某日、容態が思わしくない・・という情報を得て、N先生の計らいで、お見舞いに行ってきました。ひどく痩せておられて、昔の面影はありませんが、顔色は良く、手も暖かかく、声をかけると目を見開いてくれました。調子にのって、先生が元気な頃は言えなかった事をいっぱい話してきました。そして、27年前、13名も入局した時は喜んでおられたとか・・。この中で誰かが(T君に決まってますが・・)教授になると予言しておられた事、私の本質は早くから見抜いておられた事など・・・昔話を奥様としながら、あまり意識がないと先生にも、どんどんツッコミ入れていると、表情が少し曇り、何か言いたげな大きめの反応があり、最後にまたまた怒らせてしまったのかもしれません。閉瞼が不十分で、角膜の下方1/4ぐらいに少しびらん・混濁がありそうだったので、その辺にあった点眼してきました(眼科医と思えない所業・・)。私が先生にしてあげられるのはこれくらいしかなく、これで最後?頑張ってくださいとは言えず、もう辛いなら楽になってくださいとも言えず、また来ますと言いながら、もう一度機会があるのだろうかと思いつつ、長居すると奥さまに悪いので30分ほどでひきあげてきました。
その後、約2カ月弱経過して、永眠・・。

 80年間、恩師にとっては当たり前なのでしょうが、ただひたすらに勉強を続けてきた人生だったとように思います。息をするが如く自然さで勉強されていたような・・・。先生の事ですから、天国でも、時間がたっぷりあるので、ゆっくり勉強できると喜んでおられるような気がします。

f0088231_14521212.jpg この言葉を頂く為に、どれほど努力が必要だったか・・・。


追伸
 先生を偲ぶ会は、どうやら6月12日午後に行われるようです。関係者には案内が行くと思いますが、時間がありませんので、関係者は心づもりお願いします。

Commented by kurume-jin at 2011-05-06 14:39 x
なつかしい文字です。この一言が最後にあると、ほっとしたのを思い出しました。
Commented at 2011-05-06 17:52
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by takeuchi-ganka | 2011-05-05 10:02 | その他 | Comments(2)

大阪市旭区にある竹内眼科医院です。開業医も日々勉強。


by takeuchi-ganka
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