故 宇山昌延 名誉教授 『お別れの会』
2011年 06月 13日
昨日、宇山先生がお好きだった?、ロイヤルホテルの山楽の間で、お別れの会・偲ぶ会が行われました。この世界では日本を代表するような諸先生方の立派なお別れの言葉がありました。いつものように、松村先生の言葉は洗練されていて素敵でした。寛ちゃんの言葉は、さすが同期だけあって、思いは同じで、密かに心動かされていました。出来れば、松井先生の言葉が聞きたかったです。この厳かなお別れ式に続いて、先生を偲ぶ会が行われたのですが、献杯の発声は三宅養三先生。話がうまい・・・。印象に残った部分を・・
Anterior ischaemic optic neuropathy. I. Terminology and pathogenesis.
Hayreh SS. Br J Ophthalmol. 1974 Dec;58(12):955-63.
Anterior ischaemic optic neuropathy. II. Fundus on ophthalmoscopy and fluorescein angiography.
Hayreh SS. Br J Ophthalmol. 1974 Dec;58(12):964-80.
Anterior ischaemic optic neuropathy. III. Treatment, prophylaxis, and differential diagnosis.
Hayreh SS. Br J Ophthalmol. 1974 Dec;58(12):981-9.
この3論文が出たのが、1974年(昭和49年)。宇山先生が関西医大に来られたのが昭和51年2月で、塚原先生が京大に戻られたのは、昭和50年4月末ですから、三宅養三先生のお話は、昭和50年頃の話でしょう・・。昭和49年末に出たこの非常にインパクのある論文を三宅先生も宇山先生も当然読まれていた筈。昭和50年にAIONに遭遇した三宅先生は当時使用可能であった高圧酸素療法を試みるも、患者さんがMIでなくなった為に、この貴重な眼球の病理組織を調べられるのですが、フットワーク軽く、学閥の垣根を軽く越えて、すでにAIONを報告されていた、京都に戻られた直後の塚原先生を尋ねられます。そこで、三宅先生は、当時43歳の宇山先生に初めて出会われたようです。Hoganのところで眼病理を学んで帰って来られ、翌年関西医大の教授に就任される直前の宇山先生は、若くて、颯爽としていて、輝いていて、かっこ良かったようです。私には、白衣を翻しながら、少し早足でやってきた先生が、AIONの組織標本を見て、理路整然と所見を述べられる姿が、少し見えたような気がしました。三宅先生の献杯前のスピーチ、出色でした。お礼申し上げます。

※門下生の思い出話は、もっと静かな場所で、ゆっくりと聞きたかったです。
http://takeganka.exblog.jp/15918952
http://d.hatena.ne.jp/takkenm3/20110612

