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第26回日本緑内障学会 その1 (866)

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※久しぶりに名古屋にやってきました。緑内障学会も今年で26回目です。今年も、かくしゃくとした岩田先生のお姿を見かけました。


26回日本緑内障学会

特別シンポジウム Histroy of Glaucoma

なんとも壮大なタイトルであり、そこにこの世界の重鎮たちが15分の講演に全力投球するというシンポジウムがありました。難解すぎて、要約困難・・

S4-1 ヒポクラテスのGlaukosから2000年 白土城照

肉眼的観察しかない古代にあって、緑内障と白内障は区別できず、緑内障は何らかの白内障疾患であった・・・?ヒポクラテスという名前を聞いたのは、大学の医学概論以来の気もするが、その時代から瞳が青緑色になると失明する疾患と言われていた。ヒポクラテス全集に出てくるGlaukosisとは・・・。Celsus(起源約40年頃) Suffusio ⇒瞳孔の色が消えて、失明・・・。Rusus glaucoma hypochymaを記載。glaucomaは、水晶体疾患で治らないが、hypochymaは墜下法(couching)で治る疾患?古代の眼球の中心は、水晶体と考えられていて、光を知覚する組織だと・・、光を屈折するレンズとの認識は1000年以上経過してから・・。Glaucoma:瞳孔が混濁して、再発・発作・炎症・・・(水晶体はその後濁る)、瞳孔混濁のないものはamaurosisMakenzie WJaeger Evon Grafe ⇒やがてcuppingの記載が。ヒポクラテスから2200年経過して、単性と炎性と区別される。⇒Glaucosは緑内障ではなく、ヒポクラテス全集に出てくるGlaucosisは白内障だった。

S4-2 Histroyof Glaucoma in China Lingling Wu

中国の歴史・・・

S4-3 近代前の日本の緑内障の歴史-「緑内障」という名の起源について- 谷原秀信

ヒポクラテスは、瞳を海の色にたとえた記述が最初で、海の色は青(緑)。日本においては、馬島流の医学書で、「青内障(あおそこひ)」の記載。内障(そこひ)というのは、眼の中に異常があって見えなくなる・・・という意味。青・赤・白・黄・黒・などがあった。China由来:緑・青をつけた病名多い。緑風内障(発作)、青風内障(慢性・・)。蘭学系は緑が多い。チットマン(Tittman)(高良斎訳)に緑内障の記載。

(※日眼に投稿されているようなので、そこで詳細を・・)

S4-4 正常眼圧緑内障(Normal-tention-glaucoma, NTG)の歴史 新家眞

1857 von Grafeが最初に記載?眼圧高く、乳頭陥凹があり、失明する疾患。長い論文の中でNTGについて記載があったが、後に撤回して、burn-out glaucomaだと・・。シェッツ眼圧計登場は、1905年。①頭蓋内異常を伴うPseudoglaucoma ②対象眼のNormative pressureが正常域にたまたまある為 ③循環動態異常・・などと考えられていたが、いずれにしても稀?北澤先生の緑内障クリニックにも、時に存在する・・程度の記載。様々な疫学調査で、日本人のOAG90%近くがNTGPOAGと差がある筈だが、遺伝的差異はない・・。

S4-5 原発閉塞隅角緑内障の歴史的考察:von GrafeCurranを中心に 山本哲也

von Grafe最初の報告は1856年。iridectomy後、頭痛消失。ただ当時は、choroiditis⇒硝子体・房水の膨潤?虹彩の前方への膨隆、その後cuppingiridectomyして膨隆が消失したと。房水動態は理解できていなくて、隅角も見えていなかった時代に、28歳のGrafeは偉い・・。1920Curranは、瞳孔ブロックの概念を提唱。当時の手術はしばしば濾過胞ができるが、消失後も治ったまま。⇒後房から前房流出すること。隅角が閉塞していると効かないことなど・・・⇒瞳孔ブロック。1938年 BarkanKoeppe隅角鏡を用いて詳細な隅角検査を施行して、開放隅角と閉塞隅角を記載。

※当時の緑内障の理解について

痴人の復讐(小酒井不木)から http://www.aozora.gr.jp/cards/000262/files/1457_20557.html 

『諸君は御承知かも知れませんが、緑内障にかゝった眼は、外見上は健康な眼と区別することが出来ません。この病は俗に「石そこひ」と申しまして、眼球の内圧の亢進によるのですから、眼球は硬くなりますが、眼底の検査をして、視神経が眼球を貫いて居る乳頭と称する部分が陥凹して居るのを見なければ、客観的に診断を下すことが出来ません。然し診断は比較的容易につきますけれど、内圧の亢進する原因はまだ明かにされて居らないのです。日本でも、西洋でも、むかしこの病は「不治」と見做みなされ、天刑病の一種として医治の範囲外に置かれました。近頃では、初期の緑内障ならば、手術その他の方法で、ある程度まで治療することが出来ますが、重症ならば勿論失明の外はありません。ことに疼痛が甚だしいために、それを除くには眼球を剔出すること、即ち俗な言葉でいえば眼球をくり抜いて取ることが最上の方法とされて居ります。なお又、炎症性の緑内障ですと、片眼へんがんに起った緑内障は交換性眼炎と称して、間もなく健眼けんがんに移りますから、健眼を助けるための応急手段として、患眼の剔出を行うことになって居ります。従って、緑内障の手術には、眼球剔出法が、最も屡しばしば応用されるものであります。』


by takeuchi-ganka | 2015-09-15 18:57 | Comments(0)

大阪市旭区にある竹内眼科医院です。開業医も日々勉強。


by takeuchi-ganka
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