2008年 08月 31日
緑内障は失明する? (298)
この緑内障glaucomaという言葉は、ヒポクラテスの時代から記載があるようです。ただ、この時代の緑内障は、痛みを伴って見えなくなる(なった)疾患(群)の総称だったのでしょうか。原発閉塞隅角緑内障の急性発作、過熟白内障によるphacolytic glaucoma 或いは膨化水晶体によるphacogenic glaucoma などに代表される急性の続発緑内障。或いは、緑内障でなくても、痛みを伴って視機能を失うような状況(逆に、視機能を失ってから痛みを伴うような状況)の疾患は、glaucomaだったのかもしれません。こんな解釈の時代が1600年代まで続いたそうです。つまり、緑内障という言葉は、既に終わっている眼につけられた病名で、この時代であれば、緑内障は、まさに失明宣告だったのです。
この緑内障は、かつて炎性緑内障と呼ばれた疾患で、視神経は蒼白でほぼ失明しています。この場合は、失明宣告せざるをえないでしょうか・・・
17世紀以降、 どうやら、緑内障とは、触知してわかるレベルの眼圧上昇を伴って失明に至る疾患であることがわかります。この時点では、急性発作を代表とする高度の眼圧上昇を伴って失明する緑内障がその対象だったでしょうか。 血管新生緑内障やiris bombeなども含まれたかもしれません。眼圧といっても触って分かる眼の硬さですが、これが程度分類されるようになり、程度の低いものの中には、慢性の緑内障が含まれるようになったようです。
19世紀後半になると、検眼鏡が考案され、現在でも使われる視神経乳頭陥凹所見を伴うと記載されます。ただ、当時の検眼鏡では、真っ白になった視神経乳頭表面が湾曲していることがやっとわかる程度で、腫れていると判断することも多かったようです。
いよいよ20世紀になり、眼圧計が発明されます。我々が眼科医になった時、大活躍していたシェッツ眼圧計は、1905年の発明です。触って判断していた眼の硬さを眼圧計で測るようになり、現代のレベルに近い眼圧に対する判断が可能となります。
やがて細隙灯顕微鏡が発明され、徐々に改良が加えられ、現在の形に近いものに変化してゆきます。実用レベルの完成度を備え、普及し始めたのは1950年代以降でしょうか。かつて主流だったゴールドマン視野も1945年考案なので、普及はその後徐々に・・でしょう。
細隙灯顕微鏡が使えて、眼底が見れて、ゴールドマン視野が計測可能となり、漸く現代レベルに近い診断水準になったと言えます。つまり、50年以上前は、まだまだ初期発見なんかほど遠く、診断イコール半ば失明宣告だったのかもしれません。また、原発緑内障に限っても、多くの場合、開放隅角なのか閉塞隅角なのかは、曖昧なまま、急性の緑内障なのか慢性の緑内障なのかしか診断されず、治療されていたようです。
現在のように、緑内障の病態解明がすすみ、治療手段も増えたのも、また、少しずつですが早期発見が行われるようになったのも、ここ50年の出来事。厳しくみれば20-30年の事かもしれません。だとすれば、今だに、緑内障診断イコール半ば失明宣告のようなイメージを持たれている方が多くても仕方ないのでしょう。また、進行した緑内障性視神経委縮に対しては、現在でも無力で、当然失明に至るケースもあるのですが、受診さえしていただければ、物々しい器械なんか何もなくても、早期発見は可能ですし、早期受診していただければ、その進行を抑える手段は豊富にあるのです。
40歳を過ぎたら、一度は眼科を受診してください。決して損はさせません。全く症状のない方の受診も、お待ちしております。